観光客は来ない。でも、ここがビエンチャンだと言える寺院|ワット・シームアン
ラオスの首都ビエンチャンに、観光客がほとんど足を運ばない寺院があります。
ワット シームアンはガイドブックでは脇役で、ツアーにもまず組み込まれません。
それでも地元の人たちは、迷ったとき、願いがあるとき、当たり前のようにここへ来るというのです。
派手さはありませんが、「ここがビエンチャンだ」と言いたくなる理由が、この寺院にはあります。
ワット シームアンとはどんな寺院だろう
ワット・シームアンは、ビエンチャンに数ある寺院の中でも、観光名所というより街の生活に溶け込んだ寺院です
黄金に輝く仏塔も、圧倒される規模の建築物もありません
その代わり、この寺院には、地元の人たちが日常的に足を運び、静かに手を合わせる空気があります
ビエンチャンの守護寺院としての位置づけ
ワットシームアンはビエンチャンの守護寺院とされ、特別視されています
これは行政的に定められたものではありませんが、街を守る精霊信仰と深く結びつき、長く人々に信じられてきた場所です
迷いや願いがあるとき、観光名所ではなくここを訪れるという行動が、この寺院の立ち位置を物語っています

建立にまつわる伝説とシームアンの名前の由来
ワット シームアンという名称は、この寺院の建立にまつわる一つの伝説に由来しています
寺が建てられた際、街を守る柱――ラオスで「シー」と呼ばれる霊的な柱を立てる儀式が行われたと伝えられています
この儀式には、土地と人を強く結びつけるための犠牲が必要だった、という言い伝えが残っています
しかし、誰もその役を引き受けようとはしなかった
そのとき、身重の女性シー・ムアンが自ら名乗り出て、柱の穴へ身を投じたという物語が語り継がれています
史実かどうかを証明するものはありません
それでもこの物語は、今も人々の間で語られ、寺院の名前として生き続けています
重要なのは、この伝説が「悲劇」として受け取られていないことです
シームアンは犠牲者ではなく、街を守る存在として敬われている
境内で人々が手を合わせる相手は、仏像だけではなく、この土地に根付いた守護の存在、シームアンに手を合わせているのです
この寺院(ワット)は シームアン なのですね

ワット シームアンという名称が意味するもの
ラオスの信仰では、仏教と精霊信仰が明確に切り分けられているわけではないそうです
ワット・シームアンという名は、その曖昧さと自然な重なりをそのまま表しています
ここは仏教寺院ですが同時に街の守護霊を祀る場所でもあり、仏と精霊が対立するのではなく人々の暮らしの中で違和感なく共存しています
だから人々は家族や仕事や健康――僧侶から教義を聞くのではなく、「この街で生きていくため」に人はここへ来る …

ワットシームアンはビエンチャンという街の中で、今も静かに人々の拠り所であり続けています
なぜ観光客はワットシームアンに来ないのだろう
kazuが訪問した時、ブッタパークは殆ど観光客と思える人たちでしたが、ワットシームアンでは対象的に地元の人たちと数名の女性の観光客でした
「なぜ観光客はワット シームアンに来ないのだろう」と考えるに、ここにはパトーサイ(凱旋門)やブッタパークのような派手さがないからではとも思います

インパクトがないからツアーに組み込まれにくく、ガイドブックでも扱いが小さい …また「見どころ」が紹介されにくいというのもあるかも知れません
ツアーにもガイドブックにもほとんど載らない
ツアーやガイドブックに必要な、「インスタ映え」という言葉が象徴するように視覚的な要素を否定はしません
ワットシームアンはインパクトがないからツアーに組み込まれにくく、ガイドブックでも扱いが小さい …
また「見どころ」が紹介されにくいという側面があるかも知れません
そして、それ以上に駐車場が狭いというのがあるのかも知れません
ワット・シームアンは乗用車数台が駐車出来るスペースがあるだけで観光バスは駐車出来ません
それでも、ここがビエンチャンだと言える理由
ワットシームアンをぐるっと回って感じたのは
観光で立ち寄るというより祈る必要があって来る – – – そんな空気でした
また、この寺院は何を祀り、どんな意味があるのかは背景を知らなければ、ただ美しい寺に見えてしまうかもしれません
でもそれでいいのかも知れません
ワット シームアンは、外から来た人に向けた場所ではなく、この街に暮らす人たちのための寺なのです
だから観光客は少ない、でもそれは排他的ではありません
観光客でも包みこんでくれる優しさのある寺院です
そしてだからこそ、ここに立つとビエンチャンという街の輪郭が、少しだけ見えてくるのです

ワット シームアン Q & A
Q1. 観光客が少ないけれど、行く価値はありますか?
派手な観光を期待すると、物足りなく感じるかもしれませんが地元の人の信仰を感じたい人にとっては、ビエンチャンらしさを最も実感できる場所の一つです。
Q2. 仏教寺院なのに、なぜ精霊信仰の話が出てくるのですか?
ラオスでは、仏教と精霊信仰が対立せず、日常の中で自然に重なっています。ワット・シームアンは、その重なりが今も生きている寺院です
Q3. 観光客が訪れても問題ありませんか?
問題ありません。ただし、ここは信仰の場で地元の方がお祈りしていますので写真撮影には配慮も必要です
Q4. 行き方と滞在時間の目安は?
ワット シームアンはタラートサオから歩いても行ける距離です。滞在時間は30分ほどあれば十分ですが、人々の祈りの様子を眺めていると、思った以上に時間が過ぎていることもあります
Q5. 入場料と開門時間は?
入場料は無料です。開門時間は明確な表示がありませんが施錠できる門があります

アクセス・行き方
ワットシームアンはCBS(セントラル バスターミナル : タラートサオ)から歩いても行ける距離です
14番バスでブッタパークの帰りに立ち寄るのも良さそうですね
トゥクトゥクやタクシードライバーに「ワット シームアン」と伝えれば、ほとんどの場合通じます
それは観光名所としては目立ちませんが、地元ではよく知られた場所だからです
このグーグル地図を見せるのもいいですね

ワット・シームアンのまとめ
ワットシームアンは、有名な観光寺院ではありません
ガイドブック的な見どころが用意されているわけではありません
ワット・シームアンでkazuの目に止まったのが入り口両脇で花や線香を販売する人たちの姿でした

4〜5名の方がパラソルを開いて”営業”している様子を見て「そんなに参拝する人が多いんだ!」と思ったことを覚えています
寺院内は綺麗で手入れが行き届いて塵など落ちていません
お祈りする後ろ姿も形式的ではなく気持ちが伝わってくるような祈りでした
ここには、観光のために整えられたラオスではなく、人々が日常の中で信仰と共に生きているビエンチャンがあります
ワットシームアンは、「ここがビエンチャンだ」と静かに教えてくれる場所です
ルアンパバーンにはそれなりの見どころがありますが、ビエンチャンにはコレ!といった見どころがないのも確かです
でも、見方を変えればビエンチャンも悪くない….
そう思えるビエンチャンです

