ミーソン聖域の写真と歴史〜レビューまとめ〜②
ミーソン聖域にはダナン、ホイアンどちらからも行くことができます。
ミーソン聖域への行き方
ミーソン聖域は、ベトナム中部のクアンナム省ズイ・スエン郡にありミーソン谷の近辺がミーソン聖域になっています
ミーソン聖域の行き方はダナンからとホイアンからの行き方がありますが距離的には大きく変わらないようです
kazuはホイアン・ビーチから行きましたが道路の舗装状態は良好でした
ミーソン遺跡の行き方と所要時間-自力で行ってみる
ミーソン聖域でトイレは?
ミーソン聖域で気になるのがトイレ事情ですね
先ず最初にあるトイレはミーソン聖域に入場して右側に清潔なトイレがあります
またその先のミーソン遺跡資料館の中にトイレがあります
この2つのトイレは電動バギーに乗車する前になりますが電動バギーを降車してからは A 区域に近いレストハウスにトイレがあります
トイレといえば海外旅行ではこれを忘れてはイケマセン
【ベトナム旅行】持ち物リストでこれを忘れるなんて! まとめ
ミーソン聖域の入場料
ミーソン聖域の入場料はベトナム人と外国人は異なり外国人の入場料は150000ドンでした
日本ではあまり一般的ではないようですが海外では外国人料金が多いようですね
でも中国では中国人・外国人同じ入場料でしかも中国人同様の割引制度(高齢者や障害者など)が適用されます
ミーソン聖域の所要時間
ミーソン聖域はとても広くてミーソン遺跡バギーターミナルまでは電動バギーで移動します
乗車時間と待ち時間は10分程度になります
ミーソン遺跡巡りでは徒歩のみとなりおよそ2時間は見ておく必要があります
ですからミーソン聖域の駐車場往復に2時間30分ほど見ておけばいいですね(ショーの観覧を除く)
ミーソン遺跡はかなり暑いので水を持参しましょう
ミーソン聖域の歴史
ミーソン聖域の歴史について調べていくと「現代でも同じじゃない?」と思えることも多いようです
チャンバ王国
ミーソン聖域は、4世紀から13世紀にかけて存在したチャンパ王国の宗教的・政治的中心地でヒンドゥー教やインド文化の影響を受けていたそうです
ミーソン遺跡はヒンドゥー教の神々に捧げた寺院群で特にシヴァ神に関する寺院が多く残されています
またヒンドゥ教では山や丘などの自然の地形を神聖視し、山は神々の住む場所と考えられていたようです
ミーソン聖域に行けば「どうしてこんな山の中に…」と思うのですがヒンドゥー教の教えを具現化したのがミーソン遺跡と思えば納得ですね
チャンバ王国の滅亡
ほぼ1000年もの間続いた古代ヒンドゥー教・チャンバ王国はどうして滅亡したのでしょうか?
調べて見ると…
13世紀にモンゴル帝国が侵攻し国力が弱まった
明朝(中国)との対立があった
王朝内の権力闘争や内部対立があった
戦争や内乱で財政問題が深刻化した
ベトナム南部勢力がチャンパ王国の領土を侵食した
ポルトガルの植民地活動で政治的影響力が弱まった
これらの複合的要因でチャンバ王国が衰退し…
1802年に、ベトナムの大越王朝(阮朝)がチャンパ王国の残存地域を完全に統合した。これにより、チャンパ王国は歴史の中で消失し、ベトナムの一部として編入された
しかしkazuはもっと他の原因があったと思うのです
それは…
中国・清朝の支援だ
大越(大越王朝)の創始者であるジャム(黎聖宗)は、清朝からの支援を受けることでその権力を確立しました。清朝は、ジャムがチャンバ王国を征服し、南部の領土を支配するのを承認し、またジャムに対して軍事的および政治的な支援を行いました
歴史に「もしも」はありませんが、もしチャンバ王国が明朝(中国)と友好関係にあり、清朝とも友好関係を築いていたら今はベトナム王国になっていたかも?
ミーソン聖域の写真
ここからは「 日本語ガイドなしでミーソン遺跡を巡ってみる① 」の続きになります
日本語ガイドなしでミーソン遺跡を巡ってみる①
ミーソン聖域のハイライト – A・B区域は写真多めです ^^;
日本語ガイドなしでミーソン遺跡を巡ってみる① でリンガとヨ二をお伝えしましたが、この写真の右下にも「ヨ二」が祀られています
写真の左側に回ってみると…
パワースポット
中に入れそうでしたので覗いてみることにします
しかし、かなり薄暗く良く見えないのですが何か気配を感じるような…
背筋が寒くなるような….
狭い空間なのに何だろ?ココ…
次ではいよいよミーソン聖域の中心、チャンバ王国の政治と祀り事の中心をレビューします